TOKYO美術館あそび

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「光」をあやつる錬金術師、「ダニエル・ブラッシュ展 -モネをめぐる金工芸-」

「夕日を反射する、美しいさざ波」に陶酔、そして驚愕の事実

 

【2024年1月26日 来訪】

 

ダニエル・ブラッシュ(1947-2022)の名前を、みなさんはご存じでしょうか?
筆者は、恥ずかしながら今まで知らなかった。作品も観たことがありませんでした。
なんの予備知識もなく、たまたまふらりと訪れた展覧会。

 

筆者は、ここで、とんでもない才能を目撃することになります。

 

この写真は、美術館入口の壁に貼られた、展覧会の大きな看板です。

 

夕日を反射した、おだやかなさざ波の水面。
風とともに、波の音が絶え間なく聞こえてくるようです。
金色、ピンク色、赤色、青色、紫色。
波に光が反射して、自由に色を変化させては、飽きることなくずっと見ていられる海の水面。

 

しかし、この作品の信じられない事実を知ることになります。

 

これは、「スチール(鋼)」製なのです。

私たちにはおなじみの、スチールラックや建築資材で使われる、工業的な「スチール」だったのです。

あの「はがね色」の素材から、どうして、こんなに神々しい色合いを出せるのでしょうか?

 

現代の魔術師、ダニエル・ブラッシュの世界を、一緒にのぞいてみましょう。

 

あの「粒金細工」をマスターした、凄腕ダニエル・ブラッシュ

「第二のドーム(Second dome)」 展覧会 配布冊子の掲載写真より

ダニエル・ブラッシュ(1947-2022)の肩書きは、

アメリカの画家、彫刻家、金細工師、宝飾職人となるのですが、博識家である彼は、それだけで括ることはできません。

哲学者であり、学者であり、エンジニア、大学教授、コレクターと才能に満ち溢れていました。

 

前回のブログでご紹介した、エトルリアの「粒金細工」で覆われた金碗を、ダニエル・ブラッシュは13歳のときに、旅行先のヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(ロンドン)で目にし、多大な影響を受けます。

 

カーネギー工科大学で美術を学び、南カリフォルニア大学修士号を取得したのち、

ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学で、芸術哲学を教える美術教授となります。

そして、1978年に、自身の制作に専念するために、ダニエル・ブラッシュと妻のオリヴィアはニューヨークへ移住します。

 

メタルワークは1970年代半ばからスタートさせるのですが、注目すべき点は、

ダニエル・ブラッシュは技法を「すべて独学で学んでいる」ということです。

 

現代でも難しいとされる、エトルリアの超絶技法「粒金細工」を、彼は1993年頃に習得しています。

 

直径 0.2㎜(0.08インチ)、合計78,000粒、極細小で尋常でない数の「粒金」が、規則的に美しく配列された「第二のドーム(Second dome)」は、ダニエル・ブラッシュが6年をかけて1人で制作した代表作です。

 

彼は、アシスタントや職人を雇わずに、隠遁を好み、何ヶ月も自分のスタジオから出ることなく、1人で制作に没頭することにより、独創的な作品を生み出していきました。

 

この「第二のドーム」を一目みれば、エキセントリックなアイデアと、それを美しく具現化できる驚異的な技術力に誰もが舌を巻きます。

 

ダニエル・ブラッシュを魅了した「世阿弥の教え」

「ハンド ピース (Hand piece)」(1987‐1995)

「ビートル ボウル (Beatle Bowl)」(1992‐1994)

 

もしも、「ダニエル・ブラッシュ」の名前を伏せていたら、東京国立博物館に展示されているような、日本人作家の金工芸品に見えます。

 

ダニエル・ブラッシュは、日本文化、特に14世紀の世阿弥の教えや能楽に影響を受けました。

13歳のときに母親からもらった山姥の能面がきっかけとなり、能楽舞台の、詩的で、厳粛で、深く抽象的な表現に魅了されました。

 

大学教授の職を辞して、創作に専念する転換期のときには、世阿弥の「九位(芸道修行における芸位を九段階に整理した能芸書)」に、引き込まれます。

 

九位の中で最高位にあたる「妙花風」が、「言語を超えた、えも言われぬ美しさ」を示し、神秘的な深さをあらわす「幽玄」の極致であることに感銘を受けました。

 

「そして、その魂が胸を高鳴らせるとき、テクニックは消えるのだ。」

 

このダニエル・ブラッシュの言葉からも、真の芸術作品は、テクニックを超えて、言葉では言い表せない「作者の魂」が輝いてくるもの。という強い信念をもちます。

 

彼はテクニックを進化させ、完璧なレベルにまで習得する一方で、自分の技にしがみつくことなく、テクニックはあくまでも作品を表現するための道具にすぎないとし、

とどまることのない好奇心に導かれ、新たなイノベーションに真摯に取り組み、常に探求の道を進んで行くのです。

 

メタルへの飽くなき探求

「無限のリング(Ring of infinity)」

「スチール・ポピー(Steel Poppies)」

 

ジュエリーの金属というと、金・銀・プラチナという思い込みがある筆者は、

アルミニウムで作られた「無限のリング」のまばゆい輝かしさと、

スチールで作られた「スチール・ポピー」の深く渋い色の美しさに、とても驚きました。

 

ダニエル・ブラッシュのメタルワークは、ゴールドから始まり、

スチール、アルミニウムなどの工業的なメタルへの探求に移行していきます。

 

彼は、機械工学を好んでおり、銃や剣に彫られるスチールの「エングレービング(直接金属面に線を彫る技法)」に魅了されていました。

 

アルミニウムやスチールに、「エングレービング」を施すことで、新たな輝きを引き出し、美しい価値を見出していきます。

 

それはまさに、「ジュエリーはこうあるべき」「工業製品はこうあるべき」という固定観念に疑問を投げかけるもので、

「価値とはなにか?美しさとなにか?」を、深く考えさせられてしまう作品です。

 

モネは油絵具で光を描く、ダニエル・ブラッシュは光で光を描く

「モネについて考える(Thinking about Monet)」

モネの場合

トップ写真で見た、「夕日を反射する、美しいさざ波」の正体です。

手のひらサイズの小さな作品が65点、連作「モネについて考える」になります。

 

モネは、もちろん「睡蓮」で有名な、あの「モネ(1840 - 1926)」です。

戸外制作を行い、自然の光の中で「光」の描写について探求した画家です。

モネは、自然の光を表現するために、より明るい色彩を出すことできる「色彩分割」の技法にたどり着きます。

 

色は、混ぜると暗くなって、黒に近づく性質(減法混色)があります。

そこを回避するために、「色彩分割(筆触分割)」を画家たちは使います。

「色彩分割」は、光のプリズム7色を基本に、繊細なタッチで絵具を混ぜずに原色を並べると、その原色同士が混ざった色に見える、人間の目の錯覚を利用する技法です。

 

例えば、グレーを作りたいときは、緑と紫を隣に並べると、遠くから見れば、グレーとして認識されます。絵具を混ぜていないため暗くならずに、明るい色彩となります。

この「色彩分割」により鮮明な色彩で、光の色を表現することが可能となります。

 

モネは、同じ場所で、異なる時間帯・異なる天気・異なる季節ごとに観察した「光」を連作として描いていき、刻々と移ろいゆく光の変化を探求していきました。

 

ダニエル・ブラッシュの場合

そんなモネの、光を取り入れた色相に興味を持ち、妻とヨーロッパへ訪れ、数か月のあいだ調査・研究をしましたが、モネの絵画から「光」を感じなかったダニエル・ブラッシュはモネに対して嫌悪感を抱きます。

 

しかし、たまたま友人が見せてくれた、モネの絵のカラー・ポジフィルム(8×10インチ)を光にかざしてみた瞬間に、「モネが見た光」をたちまち理解し、モネの作品が好きになります。

 

なぜ、ダニエル・ブラッシュは、実際の絵画からではなくポジフィルムで理解したのかは、あくまで筆者の想像なのですが、

ポジフィルムは、光を取り入れた写真が美しく、色彩の鮮やかさや風景の立体感が際立つため、よりコントラストが強くなったことで、気づいたことがあったのではないか。

そして、「8×10インチ(20.32㎝×25.4㎝)」というサイズ感がよかったように思います。絵画を美術館で実際に見る距離感よりも、さらに遠くから俯瞰してみる状態となるので、そこから「モネの考えていた光」が、見えてきたのかもしれません。

 

ダニエル・ブラッシュは、「光を光で描くこと」を決意し、学生のときに物理の授業でみた「回折格子」の実験を思い出します。

 

回折格子は、ガラス板の片面に1cm当たり数千本もの細い溝を等間隔に刻んだものです。そこに光線を当てると、「光の回折(光が回り込んで拡がる現象)と干渉(2つの波が重なった時に、互いに強め合ったり弱め合ったりする現象)」によって、波長毎にさまざまな色へ分光されます。

CDの裏面が虹色に見えるのは、回折格子と同じような現象で、CDの裏面に刻まれたデータ記録用の細い溝に光が当たり「回折と干渉」が起きているためです。

 

ダニエル・ブラッシュは、そこからインスピレーションを得て、

なんの加工も着色もしていないスチールに、入念に間隔や角度、深さを計算した精巧な「エングレービング(直接金属面に線を彫る技法)」を施しました。

 

金色、ピンク色、赤色、青色、紫色のあの美しく微妙な色彩は、彫った溝に光が当たって生み出された色です。まさしく「光を光で描いている」のです。

 

連作から色々な彫り方を比べてみることで、生み出される色彩の違いを楽しめますし、

展示ギャラリーは自然光が入ってくる構造のため、1日のうちにも光も変わり、時間帯によって作品の色が変化していきます。

筆者は、「会期中(前回と違う時間帯)に、絶対また来よう!」と心に誓いました。

 

 

ダニエル・ブラッシュの個展は、今回が「日本初」となります。

また、連作「モネについて考える」については、なんと「世界初公開」です。

光をあやつる「錬金術士」、ダニエル・ブラッシュ。

その驚愕の才能と、美しい超絶技巧を、ぜひ、その目で確かめてみてください。

 

【参考文献】ダニエル・ブラッシュ展 モネをめぐる金工芸

 

21_21 DESIGN SIGHT GALLERY3

 

「ダニエル・ブラッシュ展 -モネをめぐる金工芸-」

会期: 2024年1月19日-4月15日

会場: 21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3

チケット代: 無料

※休館日、また他企画展等についてはWebサイトよりご確認ください。

www.2121designsight.jp